結論から言います。PTA会長を引き受けたのは、立派な志があったからではありません。他に、誰も引き受け手がいなかったからです。今日は、そんな消極的な理由から始まった経験について、正直に書きます。
「誰かがやらなきゃ」の「誰か」が、いなかった
PTA役員決めの場に、参加したことがある方なら分かると思います。あの、独特の静けさです。誰も手を挙げない。目が合わないように、みんな下を向く。司会をしている先生や役員さんが、困った顔をしている。
私が会長を引き受けたのも、まさにこの空気の中でした。「誰もいないなら、じゃあ」という、決して前向きとは言えない理由です。正直に言うと、「面倒なことになった」という気持ちの方が大きかったと思います。
なぜ、誰も手を挙げないのか
これは、うちの学校だけの話ではないと思います。PTAという仕組みそのものが、「引き受けてくれる人がいない」という構造的な問題を抱えているのではないでしょうか。
仕事や家事、他の子どもの用事もある中で、無償で、しかも何をするのか分からない役割を引き受けるのは、誰だって気が重いはずです。「誰かがやってくれるだろう」とみんなが思っている間に、結局、時間切れで誰かが引き受けることになる。この構造自体を変えない限り、同じことが毎年繰り返されるのだと思います。
やってみて、正直しんどかったこと
会長を引き受けてから、しんどいと感じることは何度もありました。会議のための時間調整、学校側との連絡、行事の準備。仕事をしながらの両立は、決して楽ではありませんでした。「なんで自分が」と思う瞬間も、正直あったと思います。
それでも、得られたものがあった
ですが、振り返ってみると、この経験を通して、自分自身が成長できたという実感があります。
役員という立場になると、これまで見えなかった学校の仕組みや、地域の動き方が見えてきます。知らなかった人たちと関わる機会が増え、物事を進める段取りや、人前で話すこと、意見をまとめることなど、普段の生活だけでは得られない経験を積むことができました。
会議で意見がまとまらないとき、どう場を収めるか。行事がうまくいかなかったとき、どう次に活かすか。こうした一つひとつの経験が、気づけば自分の中に、ちょっとした自信として残っていました。「やらされた」から始まった役割が、いつの間にか「自分がやっている」という感覚に変わっていったのだと思います。
これは、心理学で言う「昇華」に近いのかもしれない
以前このブログで、「代償行動」と「昇華」という心理学の概念について書きました。受動的に始まったことでも、そこに主体的に関わることで、成長につながる「昇華」に近づいていく、という話です。
PTA会長を引き受けた経緯も、まさにこれだったのかもしれません。最初は「他に誰もいないから」という、受け身の理由でした。でも、関わっていく中で、少しずつ自分なりの工夫や、やりがいを見つけていった。「やらされること」が「自分ごと」に変わっていく過程そのものが、今振り返ると、一番の収穫だったように思います。
まとめ
- PTA会長を引き受けたのは、他に引き受け手がいなかったから、という消極的な理由だった
- 誰も手を挙げないのは、個人の問題ではなく、PTAという仕組み自体の構造的な問題かもしれない
- 実際に引き受けてからは、しんどいと感じることも多かった
- それでも、学校や地域の仕組みを知り、人とのつながりが広がり、何より自分自身の成長・自信につながった
- 「やらされること」から始まっても、関わり方次第で「自分ごと」に変わっていく
アセラズ、クサラズ、アキラメズ。
「面倒だ」と思う気持ちは、間違っていません。それでも、その先に、思いがけない何かが待っているかもしれません。


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