「前向きな不登校」という視点があってもいい、という話

不登校・通信制

結論から言います。「不登校」という言葉を聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、困っている子・苦しんでいる子の姿だと思います。でも、それだけが不登校のすべてではないのではないか。今日はそんな話をしたいと思います。

「戻す派」と「戻さない派」、どちらの正論も人を追い詰める

不登校をめぐる議論には、大きく分けて二つの立場があります。「学校に戻すべきだ」という立場と、「無理に戻す必要はない」という立場です。

元PTA会長として、いろいろな家庭の話を聞いてきました。どちらの立場の方も、決して間違ったことを言っているわけではありません。ですが、どちらの正論も、状況によっては人を追い詰める側面があるということを、強く感じてきました。

「戻すべきだ」という正論は、まだ迷っている子や家庭にとって、プレッシャーになることがあります。「戻さなくていい」という正論も、本当は学校に行きたい気持ちがある子にとっては、その気持ちを置き去りにしてしまうことがあります。

「不登校」はレッドオーシャンだからこそ、見えていない角度がある

不登校についての発信は、すでにたくさんあります。当事者としての経験を語るブログ、専門家として支援方法を語るブログ。この二つの立場が、大きな軸になっています。

ですが、その間には、まだあまり語られていない角度があるように感じています。それは、「不登校の先、進路選択のフェーズ」です。学校に行く・行かないという議論の先には、必ず「その先、どう生きていくか」という現実が待っています。ここに焦点を当てた発信は、当事者ブログにも専門家ブログにも、実はあまり多くありません。

「困っている子」だけが不登校ではない

もう一つ、大切にしたい視点があります。それは、不登校を「困っている・苦しんでいる」という前提だけで語らないということです。

もちろん、苦しんでいる子どもたちがたくさんいることは事実です。ただ、その一方で、自分の意思で、学校とは違う道を選んでいる子もいます。通信制高校を、「仕方なく選ぶ場所」ではなく「自分らしくいられる場所」「輝ける場所」として選んでいる子どもたちです。

この視点は、当事者ブログにも専門家ブログにも、あまり出てこない角度だと感じています。「前向きな不登校」という言葉を使うと、違和感を持つ方もいるかもしれません。それでも、この視点があってもいいのではないかと、私は思っています。

なぜ、今こんな話をしているのか

2016年に成立し、翌年施行された教育機会確保法は、「学校復帰を前提としない」という大きな政策転換でした。そして2020年、コロナ禍による一斉休校で、ほぼすべての子どもたちが「学校に行かない生活」を経験しました。

法律が開けた扉を、コロナが実際にくぐらせた。そんな構造の変化が、この数年で起きたのだと思います。学校に行かないという選択肢は、もう特別なものではなくなりつつあります。だからこそ、「困っている子のための情報」だけでなく、「その先の道を、前向きに選ぶための情報」も、これから必要になっていくのではないかと感じています。

「今は学校に行けなくても、居場所がある」

これは、このブログでずっと大切にしてきた核心の思想でもあります。学校という場所に行けなくても、その子が安心していられる場所は、ちゃんとある。そして、その先に続く進路にも、選べる道はいくつもある。

元PTA会長という立場は、学校側・行政側の仕組みをある程度知っている立場でもあります。当事者としての痛みを語ることはできませんが、制度を知っている立場から、進路の選択肢を整理して伝えることはできるのではないかと思っています。

まとめ

  • 不登校をめぐる「戻す派」「戻さない派」の対立は、どちらの正論も人を追い詰める側面がある
  • 不登校についての発信は、当事者ブログ・専門家ブログの二極化が進んでいて、「その先の進路選択」という角度はまだ手薄
  • 不登校は「困っている子」だけの話ではなく、自分の意思で別の道を前向きに選ぶ子もいる
  • 教育機会確保法とコロナ禍を経て、学校に行かないという選択肢はもう特別なものではなくなりつつある
  • 「今は学校に行けなくても、居場所がある」という思想の先に、前向きな進路選択という視点を加えていきたい

アセラズ、クサラズ、アキラメズ。

「不登校」という言葉の重たさに、少しだけ違う光を当てられたら。今日はそんな思いで書きました。

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