「SNS時代の言葉の差」

読解力・表現力

結論から言います。SNS発信の「うまい・下手」を分けているのは、文章力ではありません。その言葉の奥に、理念や目的があるかどうかです。

先日、いくつかの高校の部活動のInstagramアカウントを見比べる機会がありました。そこで気づいたことが、今日のテーマです。

部活のInstagramで感じた「差」

進学校と呼ばれる学校の部活動アカウントほど、投稿が洗練されている印象を受けました。写真の構図、キャプションの言葉選び、ハッシュタグの使い方。どれをとっても、明らかに「見せ方」が意識されています。

一方で、そうでない学校の部活動アカウントは、投稿の頻度も内容もバラバラで、正直「とりあえず更新している」というものも少なくありませんでした。

洗練された発信そうでない発信
写真構図・光の入り方まで意識撮ったものをそのまま投稿
キャプション簡潔で、伝えたいことが一つに絞られている説明が多いか、逆に一言だけ
頻度一定のリズムで継続思い出した時だけ

この差を見て最初は「文章力の差なのかな」と思いました。ですが、よく見ていくと、そう単純な話ではないと気づきました。

差の正体は、文章力ではなかった

洗練されて見える発信に共通していたのは、実は「何のために発信しているか」が投稿の端々からはっきり伝わってくるということでした。部員を増やしたいのか、保護者に活動を知ってほしいのか、後輩たちに誇りを持ってほしいのか。目的がはっきりしている発信は、自然と言葉も写真も、その目的に向かって整理されていきます。

逆に「とりあえず更新している」発信は、何のために発信しているのかが、見ている側にも伝わってきません。文章がうまいかどうかより先に、そもそも何を伝えたいのかが定まっていないのです。これは、文章力の問題というより、理念・目的の言語化ができているかどうかの問題だと感じました。

これは大人のコミュニティ発信にも、同じことが言える

この視点に気づいてから、PTAや地域活動など、大人が発信するアカウントを改めて見返してみました。すると、まったく同じ構造があることに気づきました。

「なぜこの活動をしているのか」「誰に何を伝えたいのか」が明確な発信は、言葉の選び方や写真の使い方が、多少拙くても伝わってきます。逆に、目的が曖昧なまま「とりあえず記録として投稿する」発信は、どれだけ丁寧に文章を書いても、なぜか読み手に響きにくいのです。

これは、AIと壁打ちしながら話していて気づいたことなのですが、言葉の巧拙より、その言葉に理念や目的が宿っているかどうかの方が、発信の質を左右しているのではないか、という仮説にたどり着きました。

「文章のうまさ」ではなく「理念が言葉に宿っているか」

整理すると、洗練された発信とそうでない発信の違いは、次のようになります。

  • 誰に、何のために伝えたいのかが、発信者自身の中で明確かどうか
  • その目的が、写真の選び方・言葉選び・発信のリズムに一貫して表れているかどうか
  • 文章力や写真のセンスは、あくまでその目的を伝えるための「手段」でしかない

逆に言えば、文章が多少拙くても、目的がはっきりしていれば、発信は伝わるということでもあります。SNS時代だからこそ「うまく見せること」に意識が向きがちですが、本質はそこではないのだと、部活のアカウントを見比べながら気づかされました。

まとめ

  • 進学校ほど部活動アカウントの発信が洗練されて見えるが、差の正体は文章力ではない
  • 差を分けているのは「何のために発信しているか」という理念・目的の明確さ
  • 目的がはっきりしている発信は、写真も言葉も自然と整理されていく
  • これはPTAや地域活動など、大人のコミュニティ発信にも同じ構造がある
  • SNS時代は「うまく見せる」ことより、理念が言葉に宿っているかどうかが本質

アセラズ、クサラズ、アキラメズ。

うまい言葉より、伝えたい理由がはっきりしている言葉の方が、結局は届くのだと思います。

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